私たちの町、神地について紹介いたします。
神地という地名は現在残ってはいませんが、上小田中・宮内の周辺は、その昔「神地(ごうじ)」と呼ばれ農業の盛んな地域でした。 地元の人の心にはまだこの地名が生きています。
江戸時代に、江戸と平塚を結ぶ道「中原街道」は、徳川家康が平塚の中原御殿から江戸に向かう際に利用していました。東海道が整備されると、脇往還となりましたが、その後も人々の生活には欠かせない重要な道として利用され、現在も歴史を感じることのできる場所となっています。 神地は多摩川を越えて江戸に入る地域で、多摩川により交通がボトルネックになることから、商工業が栄えたともいえます。 神地はニヶ領用水の豊富な水源による水田が広がり、戦前まで桃の生産や養蚕も行われており、のんびりとした豊かな町でした。

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1549年(天文18年) 吉良頼康が泉澤寺を烏山(現在の世田谷区烏山)から当地に移す。
1604年(慶長9年) 中原街道が造られる。
1611年(慶長16年) 小泉次大夫による二ヶ領用水の工事が14年かけて完成。当地も同用水で潤され、農業生産力の高い地域の一つとなる。
1636年(寛永13年) 神地が枝村として一村の扱いを受ける。
1788年(天明8年頃) 小川家本家より分家する。初代小川儀右衛門。紋は丸に木瓜。菩提寺を泉澤寺とする。
1889年(明治22年) 町村制の施行により、中原村が成立。当地は中原村大字上小田中となり、中原街道に中原村役場が設置される。
1917年(大正6年) 小杉、神地、丸子に電燈がつく。
1924年(大正13年) 川崎市制施行。
1925年(大正14年) 中原村と住吉村が合併して、中原町を制施行。当地は中原町大字上小田中となった。
1927年(昭和2年) 南武鉄道が開通し、武蔵中原駅が開設される。
* 南武鉄道は宿河原からの砂利運搬のための鉄道だったが後に浅野セメントの石灰岩運搬用になる。この路線を利用し、約10年後に富士通や日本電気などの多くの工場が建設され、川崎の工業を支えている。
1933年(昭和8年) 中原町が川崎市と合併する。当地は川崎市上小田中となる。
1938年(昭和13年) 富士通信機製造梶i現・富士通)の工場が開設される。
1945年(昭和20年) 川崎大空襲で大きな被害を受ける。
1960年(昭和35年) 中原電車区が開設。
1972年(昭和47年) 川崎市が政令指定都市になり、中原区が誕生。当地は川崎市中原区上小田中となる。
1980年(昭和55年) (有)ラパンカンパニー 設立。
1990年(平成2年) 中原区内の南武線が高架化され、周辺道路の混雑が緩和される。
1996年(平成8年) 当地で住居表示が施行され、上小田中一丁目〜七丁目となる。